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NEW! #3 三原聡一郎

  • 執筆者の写真: 澤隆志
    澤隆志
  • 2020年10月8日
  • 読了時間: 11分

更新日:2020年10月22日



三原聡一郎(みはら・そういちろう)

世界に対して開かれたシステムを提示し、音、泡、放射線、虹、微生物、苔、気流、土、水そして電子など、物質や現象の「芸術」への読みかえを試みている。2011年より、テクノロジーと社会の関係性を考察するために空白をテーマにしたプロジェクトを国内外で展開。2013年より北極圏から熱帯雨林、軍事境界からバイオアートラボまで、芸術の中心から極限環境に至るまで、これまでに計8カ国12箇所で滞在制作を行う。

( 9/27 如是庵 http://www.kyoto-yoshidaya.jp/

―「現象」の原初体験。

「鈴」や「8’17”」もデバイスで現象を捉えた作品だと思うのですが、“現象”って設置できるものなのか?それはどのようになされているのか?をお聞きしたいです。

三原聡一郎(MS)その前提として、五島さんにまず伺いたいのは、僕らは環境の中にデバイスを自作して、作家が愛でる感覚を共有したいみたいなことがあると思うのですが、既存のハードやソフトウェアの機能などの縛りを解放できたらグッとくるという欲求があると予想します。

「この感覚すご!」っていう原体験みたいなものがあればお聞きしたいです。

五島一浩(GK)今と変わらないのかもしれませんけど、勉強机で勉強しているふりして、虫眼鏡で白熱灯にプリントされたNationalとかのマークにピント合わせたりして「うおお」ってなってました。本来の目的と別の遊び、ハッキング的な玩具化ができたときに喜びを感じていたんでしょうね。

MS こんな使い方発見しちゃったー!俺。みたいな。 自分は不要になった機械を分解するの好きで、回路や駆動部品の関係を壊しながら漠然と認識してましたね。

 そこから、精度上げていこうとか思うんですか?

MS 今の制作では、面白い現象が表れたら、その世界に降り立った人は自分だけなので、これは一体なんだろう?っていうのが正直なところです。あと偶然起こった事なのか、再現性があるのかを観察して検証します。

そこから、たとえば社会的なテーマに還していくこともある。でも、初期衝動とか驚きは大切にしています。

GK 社会的な部分、とは?

縁側でお見せして今も鳴っている「想像上の修辞法」(http://mhrs.jp/imaginary_rhetoric) の制作のきっかけは東日本大震災で、先ず人間のコミュニケーションについて考えていたのです。ことばについて。更に、起こった事故は人間レベルで解決できなくなっている状況で、“人間” 対 “人間でない他者” とのコミュニケーションのきっかけを、ユーモアを交えてできないかと考えました。 あの作品は人間には鳥っぽく聞こえているだけでなんの意図も機能もないわけですが、それを野に放って外界から反応があったとしたら、人間が持っている芸術の概念に一番近いものが伝わっていると思ったんです。

GK 僕の「画家の不在」も、可視光線、それは人間にとっての可視光であって他の動物や宇宙人には違うものに感じているはずですよね。人間用に変換された情報なので実は記号なのかも。また、絵画やアニメーションに比べて写真や映画の”実写”がリアルさにおいて特権的かというとそれも幻想で...

MS それもすでに記号と捉えられている。


― 誤解は豊かだ

― お二人のトライは、対人間に向けた仕掛けをしている体で、人間以外のものの知覚や反応を想像させ、期待?させているように見えます。

MS 外界に対して想像上の修辞法はかなり意識しています。

GK 今自分たちの持っている感覚は絶対ではなくて、その外から生まれる評価軸はもっと豊かなものかもしれない。

― いちばん、豊かに誤読してくれそうなのはどういうシチュエーションですか?

GK 誤読というか誤解ですけど、3DCGを作っていた頃に、精巧なミニチュアだと思われて、「撮るの大変だったでしょう」って! もともと「スターウォーズ」や「エイリアン2」なんかにでてくる初期のCGの一部は、お金がかかるのでミニチュア特撮で”CG風”ワイヤーフレームを作ってごまかしていたんですよね(笑)

MS 基本的に鑑賞者がいてもいなくてもどちらでもよくて。人間じゃなくてもよくて。そういえばアルスエレクトロニカの展示ではペットの来場が可能で、ある犬がめっちゃ食いついてきましたね!

GK 「想像上の修辞法」、僕が見てないときも、キーキーいってるんだろうなってふと思えるのがいいんですよね。

“現象” 自体をみせるとき、できるかぎり自分の意図や手管を介在させたくないという思いがあり。スタンドアローンだったら最高ですよね。

MS 対馬でやったときは森の中だったので、発電機構も含めてインストールしました。小さな川を傍に見つけて水力発電をして電源供給しました!1ヶ月普通にうごいていて自分も驚きました。

― 小川もいい音だろうなぁ...

MS これ作ってから、「鳥ってほんとに上手に鳴くな!」って思うようになりました(笑)

『想像上の修辞法』

― 反応の向こう側

― 三原作品は美術館でしか拝見していないのですが、森とか川とか、自然環境の中へ我々が行って鑑賞するのが理想なのですか?

MS 自然の中で発想して作り込むことはあるんですが、実は発表場所にはあまりこだわっていなくて。都市空間でも、面白そうな状況設定ができそうな場であれよいです。サイトスペシフィックな作品意識というよりリアルタイムに反応できる、比較的ポータブルなシステムであると思っています。

― リアルタイムっていうのは、どの時点についての?

MS 多くの作品システムにセンサーが内蔵されているのですが、作品を設置した環境と常に反応し続けている状態のことです。風や太陽光を取り入れたりする場合、変化によって異なる表情が生成されるのですが、凪や雲模様次第で、反応は消えてしまいます。それも受け入れた全体としてシステム(作品)です。

GK インタラクション自体が作品であって。

MS 太陽を想定したシステムを組んだとして、曇りや雨の日も当然ある。太陽を追尾して虹色に分光した光を空白の掛け軸に投影する作品があるのですが、快晴時の力強い分光状態が目的なら、人工光で投影装置作ればいいので!そうではなく、環境の流れ、地球規模の変化だとか、そういうものが取り込まれ生成される系それ自体にフォーカスしてもらえれば。

GK インタラクションが起こった「いま、ここ」から、「全体」というか向こう側を想像してくれたらいいいですね。

MS 具体的な想像力へのゲートみたいな感じですね。

― 「画家の不在」もそういうところありますよね。

GK これらレンズ自体は作品ではなく、光が屈折して束ねられる現象を味わってほしい。装置は消えてしまってもいいくらいなんだけど。

MS レンズ、ゆーーっくり回転していたら面白そうだなって。

GK 小さなレンズだと、たまにエアコンの風に揺られてフォーカスがすてきなことになります。

また、今回の個展では模型を使った入れ子構造も取り入れています。会場を逡巡することによって全体を俯瞰し、もっと遠いところに鑑賞者を連れていけるといいなと考えています。タイトル「画家の不在」は、カール・セーガン「コンタクト」の映画化されてない最終章「画家の署名」からのインスパイアです。この宇宙は、誰かの創作としか思えないくらいうまくできている(らしい)。そういう「しくみ」があって、僕が作品制作上のフォーマットや縛りから抜け出そうと必死になってもがいても、その先に物理現象というとてつもなくおおきな縛りがある。多分それを作った人はもういない(みえない?)っていう。

― 「画家の署名」は光学的な映像では表現できないですもんねぇ。


― メディア・コンシャスネス

MS 五島さんはメディアアートを作っているという意識ってありますか?

GK まったくない、わけではないですが、いつのまにか自分がやっていることがメディアアートの範疇になっているようですが、(映像でない作品は)「コンピューター使わないぞ」という決心の上でやっています。

メディアアートってメディアを志向する芸術。だとするとコンピューターを使うこと自体敗北だと思うんです。媒体のみ、プロセスのみをフォーカスしたいと思ってきて。でも肩書をメディアアーティストとはしていません。

MS 僕もメディアアーティストという肩書を自分からは使いません。知覚や様々なメディアでのプロセッシング自体にフォーカスし実験的な試みを展開した、日本人だと藤幡正樹さんとか三上晴子さんなどをメディアアーティストと認識してます。僕的には。

僕も含め、以降の世代は、その時代の実験で獲得されたことの恩恵を受けていると思っています。パイオニアたちのハッキング・カルチャーやDIY精神はものすごく尊敬しています。ハードコア・パンクばかり聞いていたからかもしれないですけども。

僕は、今では豊富にある制作ツールや体験フォーマット、あとコンセントが無くなっても動じないことを意識しています。

― 既存フォーマットの外を志向して、水や土や空気にいっているのかもしれないですね。

MS 空気中の水分を凝縮するシステムの「無主物」( http://mhrs.jp/res_nullius ) は東日本大震災の原発事故裁判で東京電力が飛散した粒子に対して提示した法律概念で、自然世界にある、人間が所有を宣言していないすべての動産を指すことばです。地球上の水循環を起点に人間の富と権力でもあり、法人格も持ち始めた存在について、このことばから考えてみたいなと。

「土の日記」( http://mhrs.jp/dialy_of_soil ) は朝鮮半島のDMZ(非武装地帯)、第二次大戦中は旧日本軍に、その後の朝鮮戦争で南北の境界となり渾沌とした血と涙の大きな物語でしか語れない土地で展開しました。僕は東日本大震災以降コンポスティング(有機物による堆肥化)をしているのですが、好気性微生物を活用するタイプで、野菜くずや残飯など入れてかき混ぜるんです。2ヶ月の滞在中に、村を歩いては毎日なにかしらの有機物をいただく。強く政治軍事的なキャラクターを持った地で個人と個人の関係性で場を耕し直す。そのプロセスの具体的な生成物としてコンポスティングした土を次の生命の肥料としてお世話になった土地の人に戻しました。文脈に作品がハマった感じはありました。




― ガラスと光と影の友


― 恵比寿映像祭で拝見した「8’17”」( http://mhrs.jp/8m_17s ) 、僕は無声映画として見入っちゃいました。

MS タイトルは太陽光が地球に届くまでの時間です。砂時計、照明、それらを動かすモーター、影が映る台。砂は、コンポスティングで生成した粒子、つまり太陽のもとで活きた生命による粒子で。8分17秒で落ちる量です。太陽は概念として永遠なので砂が片方に落ちきらないような時間的対称性を保つような回転制御をしています。

GK この台に映る影がいいですよね!

最近思うのは、優秀なプロジェクターがでてきて映画がつまんなくなったな、って。映ることのスペシャル感をヤツが全部奪ってしまったような気がして。部屋を暗くして、ちょっと黙るみたいな祝祭空間ではなくなってしまった。“ここにしかない光”が、ないんですよ。

ガラスと光でいうと、僕の「STEREO SHADOW」( https://www.youtube.com/watch?v=9HGi0bPhCyI&feature=youtu.be ) は、2個の電球を赤青に塗って、数センチずらして配置、観客が赤青メガネを着けて回遊。壁に現れた影に視差がついて立体視というものです。現場に行って初めて気づいたのは、反対側の壁には逆の立体視が現れる!自分の後ろ姿が見えているような錯視です。影でできた手の位置に実際の手をやると暖かみも感じます。共感覚という錯覚ですね。

MS やはり映像装置、「見え方」に特化した装置をつくりたいんですねぇ。

GK 僕の初めてのインスタレーション作品です。プロジェクターもカメラもセンサーもコンピューターもない(笑)


― ブツか消え物か

― 三原作品は絵画や彫刻のように物体を作られているけれども、僕らが関わっている映画/映像のように “消え物” でもある。作品保存や修復についてどう考えていますか?

MS いい質問ですね(笑) そこらへんはまだ明確な答えがなくて。

GK 映像屋としては、消え物だし複製可能だしというのは我々の矜持ですよね!

― あと、所詮は錯覚。だからいいのだ。といいたい。

MS ぼくは残し方とか、売り方にピンときていなくて。国際芸術センター青森(ACAC)で山の中に設置した規模の作品も、「これ残したいな」と思う一方、「無くなってしまうのもいいな」って。僕のような作品は、いっそ自分で山買って、最適な状況に作品を置いていって、宿泊込みの体験にできたらいいんじゃないかって(笑)限定2組くらいで一泊して、この山と対峙する。 夕暮れとか深夜、明け方とか自由に佇めるような。

― 三原庵。ときどき作務衣きた作家が現れて...

MS いきなり説明はじめたりすると雰囲気壊すから、お茶でも差し上げて…

― 野外だと壊れることもありますね。

MS 修復については、僕が生きている間については自分が何か出来ると思うのですが、死後は設計図と意思表示さえ残っていればいいかな。他人が作ってくれてもいいよっていう。僕自身、三上晴子さんの修復に関わっていますけど、現実的に悩むのはハードウェアの更新なのですが、機械や装置で緻密にあるいは大規模に構成された体験環境を芸術として残すといった場合、何を持って作品か?そしてどう残せるのかは非常に歯がゆい問題です。

GK 音楽家が楽譜を残して、演奏家が自由に解釈してアップデートしてもらってもいいよ、という関係性に共感します。

映画についてはちょっと妄想していて、完成作品の他にマテリアルのデータや編集ソフト上の書き出し前の状態もすべてまとめてアーカイブ提示したら面白いんじゃないかと。技術的には十分可能ですし。クラウドファンディングのトップのリターンをそれにするとか。

― 作家ご本人は実験性の追求でニヤニヤできるけれども、お客様にどうわかってもらうかって難しいですよね。

MS 作品体験の知覚のチューニングをあわせる仕掛けや導入は大変で、じっくり時間をかけて味わっていただかないと実感出来ない現象もあるので毎回試行錯誤しています。「無主物」も割と長い時間、空気中の水分を凝縮するシステムを説明させていただいたお客さんに、毎日、水やりお疲れさまですって最後に言われちゃいました(笑)

― あれは、僕もちょっと説明聞きたかったです(笑)いっそ、ヨーコ・オノ作品みたいな直通電話欲しかった。

MS あ、それいいかも!あの会場でこの作品で壁掛け電話ついてたら完全にSF映画の世界。僕、会場で話をするの嫌いじゃないんですよ。

― やっぱ宿ですね。やりましょう!

(聞き手、構成:澤隆志)


 
 
 

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